タイピング練習

タイピングの練習のために始めました。嘘ではないです。

「泣いた😭」つってるそこのお前!

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ふわっとした怒りのようなものを感じる箱

 

タイトルのあれ、嘘じゃないですか?「泣いた😭」つってるヤツが泣いてたためしがない。😭←この絵文字つかってるヤツ全員フェイク、リアルじゃねぇよ…

のっけから鼻息荒くすみません、大変ご無沙汰しております。小員は4月から大きく生活環境が変化しまして、一人称がキモくなってるのもそのせいです。そんなこんなで長いこと更新されない状況が続いたわけなんですが、今でも週に2,3人くらいここを訪れて下さる奇特で暇な愛すべき方がいらっしゃることを確認しまして、久しぶりに更新した次第です。オマイラダイスキダ‼

タイトルの話に戻るが、今や完全に生活の一部(大部分)となったSNS上に蔓延る「泣いた😭」についてである。既に述べた通り、これは嘘だ。なぜなら泣いてないから。😭この絵文字をうちながらの表情は😕である。圧倒的な乖離。オールフィクション。世紀の大嘘吐き。

しかし、この表現はおそらく日本のいたるところで使われているものであり、いまさら目くじらを立てるものでないことは私も重々承知しているし、別に否定したくてキーボードをポチポチやっているわけではない。ただ、個人的にこの表現が気に入らないと感じる瞬間があることをつらつらと書きたくなっただけ。もともとそういうブログだし。

では具体的に気に入らない瞬間とはどんなときかというと、深い感動を他人に伝えたいときである。本を読んだり映画を見たりして深く感動し、涙を流すことが年々増えてきた。そういった作品をほかの人にお勧めするときに「ほんとに感動する。泣いた。」と言ってしまうと、この作品は”泣けるくらい”感動的な作品だ。といった趣旨で伝わってしまう気がするのである。違う、俺は本当に泣いたんだ。目から水分が落ちたんだ。。すごく細かいことに拘っているだけなのだが「泣いた😭」という表現が蔓延しているせいで、私の落涙した経験が軽く伝わってしまっている気がする。それが気に食わない。そのため私は「涙が頬を伝って落ちるくらいに泣いた」とか「瞼から水分があふれた」なというようキモい描写をすることで自分が本当に涙したことをアピールする戦法を最近はとっている。

これだけでは、私がいつも通りの妙なこだわりを持っていることを改めて披露しただけになってしまうので、もう少し考えてみようと思う。なぜ「泣いた😭」という表現が軽くなってしまったのだろうか。私はそもそもの前提として「涙を流すこと=深く感動すること」という図式が存在していると思う。なぜなら、人は大きく感情が動いたときに涙を流すようにプログラミングされており、落涙は大きな感動を外部に(分かり易く)示す一つの証拠としての役割を持っているためである。全米がよく泣くのもそのせいだ。すなわち、落涙は深い感動を外部に示す証拠になりうる。そのため「泣いた」と言うことで相手に感動したことを伝えられる。そしてこの特性を逆手に取るかたちで、感動したことを伝えるために、実際に落涙したわけではないが「泣いた」と表現する輩が出てきた。これが「泣いた😭」が軽くなってしまった理由ではないだろうか。

 表現の方法は人それぞれであるし、他人にどうこう言われるものでもないが、感動したときは素直に「感動した。」と表現するのが良いのではなかろうか。それが落涙を伴うものであれば「泣いた」身体の芯を震わすようなものであれば「震えた」など、正直に、丁寧に言葉を使っていければいいなと個人的に強く思う。

なんとなくオチをつけるような流れではなくなったのでここで終わります。久々の更新でリハビリがてらってことで。ご勘弁を。