タイピング練習

タイピングの練習のために始めました。嘘ではないです。

妥協点は見つけるものではない

f:id:flkinopkinop:20180808142226j:image

英語圏には気をつけるという概念がない

 

あっちぃ。マジで酷暑。この暑さのなか活動させるのは、酷っしょ。ヤバすぎて見つめるのは、虚空っしょ。

サムいことを言ってみたものの、全く体感温度は下がらず、むしろ不快指数が上昇。大変失礼致しました。今回はそんな暑い夏にお届けする、アツいお話です。どすこい。

 

''妥協点を見つける''といった言い回しをよく耳にする。それはある意味で正しく、我を通すだけでは世の中上手くいかないし、世界は自分のために回っていないし、人間は1人では生きていけない。そういった譲り合いの精神を学んで、私達は大人しくオトナになっていく。その流れに抵抗せんとするパンクな精神に、眩しいけどちょっと疲れるなと感じる程度には、私もオトナになった自覚がある。それでもあえて言いたい「妥協点は見つけるものではない」と。

まず、私にとっての妥協点とは''相反する2つの要素の効能が、それぞれ最大限に引き出される地点''である。最大限というのがポイントで、2つの内どちらかが立場を譲るのではなく、その2つをバチバチにぶつけ合うことで自然に生じるもの。それが妥協点であると思う。

例えば、部活動のキツイ練習をサボりたい場面で考えてみる。この場合、より自分を高めたいとする向上心と、楽をしようとする怠惰心(そんな言葉はない)が相反する2つの要素である。この書き方だと、向上心が善で怠惰心が悪のように思えるが、必ずしもそうではない。向上心とは、より高い次元を目指そうとする姿勢であり、現状において日常生活を問題なく送れている私達にとっては、本能的にムダなものとも言えるからである。即ち、生命を維持するため以上の努力は、本能的にムダなものであり、むしろ余分なエネルギーを使う悪と捉えることもできるのだ。

妥協点に話を戻すと、向上心と怠惰心の妥協点は、心身に支障を来たさないギリギリまで努力をしたところにあると言えるのではないか。向上心の目的はより強くなること、怠惰心のは安全な生命活動を守ることであるから、それぞれの目指すものを最大限に達成するためには、そのギリギリを攻める必要がある。この場合、人為的に左右できるのは向上心の方であるため、可能な限り怠惰心に逆らって到達できた地点が妥協点になる。

以上の例にみたように、妥協点とは目標として"見つけるもの"というよりも結果として"見つかるもの"と表現すべきだと私は考える。先に妥協点を見いだそうとすると、どうしても限界の手前でストップしてしまい、真の妥協点にたどり着けない。妥協点を探そうとする行為が、到達点を引き下げてしまうことになるのだ。

ここまで書いてきて、努力することがいかに難しく、またいかに反自然的な行為であるかを改めて思い知った。そもそも文明が発達し、生存のために必要な労力が減ったため、努力などと言う無駄なことをする時間が生まれてしまった。文明を全部ぶっ壊してしまえば、朝から晩まで生命維持の本能にしたがって動き続ければよくなり、クソめんどくさい妥協点の概念もなくせるかもしれない。

 

でも、やっぱり努力して自分を高めるのって、ハチャメチャに気持ちいいんすよね。。。