コーヒーは来客の香り
今日の午後、昼食を食べ終えた母がコーヒーを淹れていた。誰かお客さんかな。と思い尋ねたところ、自分で飲むために淹れたとのこと。
それはそうだ。なぜ、コーヒーを淹れる=来客になってしまうのか。
それは、昔からお客さんがあるたびに母がコーヒーを淹れてたからだ。
小学生の頃、玄関のドアを開けたときのコーヒーの香りは、来客の合図だった。
お客さんが来ているときの母は普段の三割増しで優しく、宿題をせずに遊びに行っても許されたし、お客さん用のお菓子の余り(ルマンドが多かった)も食べられた。毎日お客さんがあればいいのにと本気で思っていた。
つまり小学生の自分にとって、コーヒーを淹れる香りは幸せの前兆だったのだ。
コーヒーの香りが幸せな小学生などと言うと非常にオシャレだが、頭の中はケイドロと陣取りであり、口の中はルマンドをほおばっている。全然オシャレじゃない。
予想外にエモい話になってしまった気がするが、とにかく私にとってのコーヒーの香りは来客の合図であり、良いことの前兆なのである。
それなのに、ブラックコーヒーが飲めない。