タイピング練習

タイピングの練習のために始めました。嘘ではないです。

【性善説】悪役にはストーリーがある。

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だまし絵かと思いきや、普通に降りてた。

 

先日、ある知人から「お前は世の中の人をみんないい人だと思ってそう」と指摘された。

びっくりした。正直な話、自分でもお人好しな側面があることは自覚していたが、こうもハッキリと他人から言われたショックは、予想外に大きい。この指摘を引きずっているうちに、私自身が性善説性悪説のどちらを信じるか、自分なりの基準を持っていないと気づいたので、この場で1つ考えてみたいと思います。シャオラ。

 

まず、性善説の定義を考えてみる。性善説とは、人は生まれながらに善の心をもっていて、それが周りの環境とかのせいで悪の心が生まれる。みたいな説だと思う。この記事ではひとまずこれでいきます。

私はその説の論拠として「悪役にはストーリーがある」を挙げたい。フィクションの世界にでてくる悪役の多くは、悪に染まった経緯が存在する。

例えば「DEATHNOTE」の魅上(私は仰せの通りに!!の人)。彼はいじめを阻止しようと尽力するも報われず、キラの協力者になった。例えばNARUTO我愛羅。自らが人柱力という人間兵器であるために友達ができず、また父親の指示で信頼していた人に殺されかけたため殺戮マシーンになった。などが挙げられるが、その一方で正義の主人公が善に目覚めたきっかけは、基本的に存在しない。

そもそも''善に目覚める''という表現が不適当な気がする。世界には、人たるもの善たるべし。という不文律が流れていて、何かのきっかけによって悪に''目覚める''のである。だからこそ、悪には悪に染まった経緯・ストーリーが存在し、正義の主人公にはそれがない。なぜなら、人は生まれただけで善なる存在だからである。

ここまで書いてきて、自分の中に反論がいくつもでてきた。

①ストーリーのない悪役、割といる。

②論拠が友情・努力・勝利の世界にしか存在しない。

③人は善たるべしの不文律が存在することは、逆に性悪説を補強するものではないか?

生半可な気持ちで書き始めたら、予想外にガチな空気になりつつあるのでここらでやめにします。再反論や性悪説についても、いつかちゃんと考えてみたい。

とりあえず結論としては、人がもともと善だの悪だの言うよりも、今いい人でいるようにしたいですね。

私は沢山の人から「なんかいい人どまりって感じだよねー笑」と言われてきたので、その点は大丈夫です。きっと大丈夫。